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2009.10.23

稲むらの火

みなさん こんにちは
Hiro9a16a Hiro9a16b  タイトルの言葉をお聞きになった方がいらっしゃいますか?
浜口梧陵が、安政の大地震のとき、津波の来襲を予期し、刈り取って干していた大切な稲に、火を放って村人を高台に誘導したという話です。この梧陵が、津波よけの堤防を私財で築いたといわれる、広村堤防が、すこし昔の様相が出てきたと聞いたので、訪れてみました。きれいな堤防とその海側にマツ(外来の)や広葉樹が植えられていました。その昔は、海岸は、松林になっていて、その内側に土塁があり、更に内堀があるという二重構造の防波堤で、科学的に優れた理にかなった構造であったとのことです。半世紀前までは、松林が残っていました。マツノザイセンチュウの被害にあったのか?その姿はありません。それにしても、広川町役場は、どうして堤防の外の海側にあるのだろうか?
写真:少し残っている内堀と海岸側から見た広村堤防
 
撮影:2009.10.16
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